札幌地方裁判所 昭和41年(ワ)737号 判決 1969年12月26日
原告
松原国隆
外一一名
代理人
庭山四郎
同
下坂浩介
被告
北海道機械開発株式会社
代理人
吉原正八郎
被告
建設運搬株式会社
代理人
西村洋
主文
被告らは、各自、原告松原国隆、同松原俊枝に対し各九五〇万四、〇四九円およびうち八八八万二、二八九円に対する昭和四一年四月七日から完済まで年五分の割合による金員を、原告中山和子に対し九一二万六、二一五円およびうち八五二万九、一七三円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告中山透、同中山順子に対し各八八〇万五、二一五円およびうち八二二万九、一七三円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告中山とめに対し六四万二、〇〇〇円およびうち六〇万円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告近藤桂子に対し四一五万〇、三七五円およびうち三八七万八、八五六円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告近藤姿子、同近藤和久に対し各三八二万九、三七五円およびうち三五七万八、八五六円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告近藤一子に対し六四万二、〇〇〇円およびうち六〇万円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告稲川利光に対し一九〇万七、三七五円およびうち一七八万二、五九四円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告土田工機株式会社に対し二八一万七、二四九円およびうち一九八万四、六七三円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。原告らの被告らに対するその余の請求をいずれも棄却する。
訴訟費用はこれを一〇分し、その七を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。
この判決の第一、第三項は仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の申立
一、原告らの申立
「被告らは、連帯して原告松原国隆、同松原俊枝に対し各一、四八九万六、八七四円およびうち一、三九二万二、三一三円に対する昭和四一年四月七日から完済まで年五分の割合による金員を、原告中山和子、同中山透、同中山順子に対し各一、〇三四万五、四五二円およびうち九六六万八、六四七円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告近藤桂子、同近藤姿子、同近藤和久に対し各五六三万一、六六〇円およびうち五二六万三、二三四円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告中山とめ、同近藤一子に対し各一〇七万円およびうち一〇〇円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告稲川利光に対し二六八万八、三八九円およびうち二五一万二、五一四円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を、原告土田工機株式会社に対し六七一万六、九八七円およびうち五六二万九、三二四円に対する右同日から完済まで年五分の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告らの負担とする。」との判決ならびに仮執行の宣言。
二、被告らの申立
(一) 被告北海道機械開発株式会社の申立
「原告らの請求を棄却する。」との判決。
(二) 被告建設運搬株式会社の申立
「原告らの請求を棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」との判決。
第二 原告らの請求原因
一、事故の発生
本田勝利は、昭和四一年四月五日早朝から大型ダンプカー(ふそう四一年式七トン半、車輛番号一ゆ第一七三六号)一台(以下、これを「本件ダンプカー」という。)を運転して被告らの行う苫小牧工業港港湾造成土木工事の工事現場において土砂運搬の業務に一旦従事したのち、本件ダンプカーが故障したため、同日午前八時ころ苫小牧市中野六六番地所在の被告北海道機械開発株式会社(以下「機械開発」という。)苫小牧出張所から同市三光町二五番地の八所在の北海自工株式会社の整備工場に右ダンプカーの修理に赴く途中、同日午前八時一〇分ころ同市中野八九番地国道三六号線の陸橋中野橋上において先行する普通貨物自動車を追い越そうとしてハンドルを右に切り道路中央線の右側に自車をはみ出し、対向して来た原告土田工機株式会社(以下、「原告会社」という。)の運転手近藤勉の運転する同社所有の普通乗用自動車(三九年型トヨペットクラウンデラックス、車輛番号ふ第八、九七二号、以下「本件乗用車」という。)の前面やや右寄りの部分に自己の運転する本件ダンプカーの前面を激突させて、
(1) 本件乗用車に同乗していた原告会社従業員松原怜(昭和一八年二月二一日生)に対し、頸椎脱臼骨折、頸髄損傷の傷害を負わせ、よつて同人を即死させ、
(2) 同じく本件乗用車に同乗していた原告会社専務取締役中山一郎(大正九年七月二六日生)に対し、頭蓋底骨折による高度脳浮腫の傷害を負わせ、よつて同人をして同年同月七日午前八時三〇分ころ苫小牧市立総合病院において死亡するに至らせ、
(3) 本件乗用車を運転していた前記運転手近藤(昭和八年一月二五日生)に対し、頭蓋内出血脳損傷の傷害を負わせ、よつて同人をして衝突の約二時間後に死亡するに至らせ、
(4) 本件乗用車に同乗していた原告土田工機の工場技師原告稲川利光(明治三九年一二月一三日生)に対し、安静加療約六か月を要する右第二、三、四、五肋骨骨折左恥骨坐骨骨折、右股関節中心脱臼、右手関節挫傷の重傷を負わせ、
(5) さらに原告会社所有の本件乗用車を大破させた。
(以下、右の事故を「本件事故」という。」
二、被告らの責任原因
(一) 被告機械開発の責任原因
(1) 被告機械開発は、本件事故当時自己のために本件ダンプカーを運行の用に供していたものであるから、本件事故により原告らが被つた後記物的損害を除く損害につき運行供用者としてこれを賠償する義務がある。すなわち
(イ) 同被告は、昭和四一年四月苫小牧工業港港湾造成の土木工事を請負い、本件ダンプカーほか数十台のダンプカーを所有し、被告建設運搬株式会社(以下、「建設運搬」という。)にこれを貸与してその事業の一部である土砂の運搬等を専属的に下請させており、右運搬事業は両被告の有機的な結合の下に行われていたものである。
(ロ) 両被告会社は人的・物的に緊密な関係にある。すなわち、被告建設運搬の社長信濃政雄は被告機械開発の従業員を兼ね、被告機械開発の取締役総務部長川岸周二は、被告建設運搬の監査役を兼ねている。また、被告機械開発は、被告建設運搬の株式の三五パーセントを所有して同社の経済的支配をなし、同社の従業員に苫小牧市の自社の寄宿舎を提供したり、自社のマーク入りのジャンパーを支給したり、自社の苫小牧出張所の事務室内で同一の電話を共用して執務させたりしている。したがつて、被告機械開発は被告建設運搬の土砂運搬の指揮監督も充分に行い得る状態にあつた。
(ハ) 被告建設運搬は借用していた本件ダンプカーを含む四、五〇台のダンプカーを、被告機械開発の苫小牧出張所内の空地に毎日駐車格納していた。
(ニ) 本件ダンプカーを含む前項記載の各ダンプカーにはその荷台両側に大きく被告機械開発の名称が、その運転台ドアの両側に小さく同被告会社の名称およびマークがそれぞれ表示されていた。
(2) 次に、被告機械開発は、前記のとおり被告建設運搬に前記港湾造成工事を下請させており、元請人たる被告機械開発は、下請人たる被告建設運搬の従業員である本田勝利に対し指揮監督権を有して同人の使用者と同視しうる地位にあつたものであるから、後記(二)の(2)のような同人の過失に基づく本件事故によつて原告らが被つた後記物的損害につき使用者としてこれを賠償する義務がある。
(二) 被告建設運搬の責任原因
(1) 被告建設運搬は、本件事故当時前記のとおり被告機械開発が苫小牧工業港の港湾造成工事を行うにつきその専属的下請業者としてその工事の一部である土砂の運搬等を同被告所有の本件ダンプカーほか数十台のダンプカーを借り受けて行い、もつて、自己のために本件ダンプカー等を運行の用に供していたものであるから、本件事故により原告らが被つた後記物的損害を除く損害につき運行供用者としてこれを賠償する義務がある。
(2) (イ)被告建設運搬は本田勝利を雇用し、昭和四一年四月五日同人を本件ダンプカーによる土砂の運搬等の業務に従事させていたところ、右本田は前記一のとおり本件ダンプカーの修理に赴く途中前記の日時場所において本件事故を惹起した。(ロ)ところで本件事故の現場は、上り坂の頂上附近であるから、追い越し禁止かつ徐行の地点である。このような地点では自動車運転者としては徐行をするとともに追越しは絶対にしないようにするなどして安全運転をし、事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにも拘らず、右本田はこれを怠り徐行はおろか法定制限速度の毎時四〇キロメートルの地点を毎時五〇キロメートルの高速で突如追越しを敢行した過失により、本件事故を惹起させた。仮に本件事故現場が徐行かつ追越し禁止の地点でなかつたとしても、右本田は、自動車運転者としては追越しをする場合には予め対向車の有無を確認すべき注意義務があるのに拘らずこれを怠り、漫然と対向車はないものと誤信して追越しをなし、突如原告会社の本件乗用車の直前の至近距離の地点に飛出した過失によつて、本件事故を発生させた。
したがつて、被告建設運搬は、同人の右過失に基づく本件事故によつて原告らが被つた後記物的損害につき使用者としてこれを賠償する義務がある。
三、損害
1 原告松原国隆、同松原俊枝の損害
(一) 松原怜の得べかりし利益の喪失
(1) 賃金
(イ) 松原怜(事故当時二三才)は高校在学中からテニス、野球の選手をするなど各種スポーツに万能な心身ともに健全な青年であるところ、厚生大臣官房統計調査部刊行の第一〇回生命表によれば、二三才の男子の平均余命は45.84年であるから、同人はなお右期間生存しえたものである。
(ロ) 松原怜は昭和四一年四月一日原告会社に大学卒の技術系の従業員として入社し、勤務していたものであつて、一か月当り基本給二万〇、五〇〇円、物価手当三、三七五円、住宅手当一、〇〇〇円、資格手当二、五〇〇円、精勤手当一、六〇〇円合計三万〇、二一五円の支給を受け、このほか年間に夏期賞与として基本給の1.6か月分三万二、八〇〇円、年末手当として基本給の3.2か月分六万五、六〇〇円、石炭手当一万二、〇〇〇円の支給を受ける予定であつた。したがつて、同人は同年度の一年間に四七万二、九八〇円の収入をあげえた筈である。
(ハ) ところで、松原怜は、後記のとおり原告会社の取締役になる筈であつたから、満六三才になるまでの死亡後四〇年間は同社において稼働したものというべきところ、その間の賃金上昇率は、(a)昭和四一年度から同四六年度までは、年間所得増加五万四、〇〇〇円(内訳。月三、三七五円増加、夏期および年末賞与合計基本給の四か月分)、(b)同四七年度から同五八年度までは年間所得増加六万七、二〇〇円(内訳。月四、二〇〇円増加、夏期および年末賞与合計基本給の四か月分)(c)同五九年度から同八一年度までは年間所得増加九万円(内訳。月五、〇〇〇円増加、夏期および年末賞与合計基本給の六か月分)を下らない筈であつた。
(ニ) 他方北海道における平均生活費は収入の三分の一を上廻らないから、松原怜の各年度における純収益は、前記(ロ)、(ハ)において算出した各年間収入から生活費としてその三分の一を控除したものである。そこで、同人の昭和四一年度から同八一年度までの総収益を死亡時において一時に支給を受けるものとし、ホフマン式計算法によつて年五分の中間利息を控除すれば、二、三七〇万二、六二七円となる。
(2) 退職金
原告会社の退職金内規によれば、勤続年数一〇年以上の一般従業員には一年勤務につき基本給一か月分を支払う旨定められているところ、松原怜は四〇年勤務するものと予定され、前記(1)(ロ)(ハ)によれば四〇年後の基本給は一か月一五万七、一〇〇円となるから、一般従業員として勤務を続けたとして、その退職金は右基本給の四〇倍となる。
さらに、同人は芝浦工大電気科で専門知識を習得し、同学在学当時から応援団長として統率力を発揮していたのみならず、原告会社社長の息子であつて将来の昇進につき他の一般従業員より有利な地位にあつたことからすれば、将来原告会社の取締役の地位に就くことは確実であつたことが予測されるところ、原告会社の取締役は一般従業員の五割増の退職金が支払われることになつているから、同人の退職金は結局合計九四二万六、〇〇〇円である。そして右退職金を同人の死亡時に一時に支払われるものとし、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除すれば、三一四万二、〇〇〇円となる。
(3) 相続
原告松原国隆、同松原俊枝は、松原怜の父母であるが同人の死亡によりその前記(1)、(2)の損害賠償請求権をそれぞれ二分の一づつ相続した。
(二) 慰藉料
原告松原国隆、同松原俊枝は、本件事故により最愛の長男である息子を失つたもので、その精神的苦痛は絶大なものがあり、これに対する慰藉料は、各一〇〇円を以つて相当とする。
(三) 自賠責保険金の受領
右原告両名は、昭和四一年一一月二八日日本火災海上保険株式会社から自動車損害賠償責任保険金一〇〇万円(以下、「自賠責保険金」という。)の支払を受け、それぞれ相続分に応じてこれを五〇万円づつ受領した。
(四) 弁護士費用
原告松原両名は、弁護士庭山四郎、同坂下浩介に対し本件訴訟の追行を委任し、成功報酬として右両弁護士に請求認容額の七パーセントを支払う旨約した。したがつて、右原告らは、各請求の七パーセントにあたる九七万四、五六一円の損害を被つた。
(五) よつて、右原告両名は、それぞれ被告らに対し前記(一)(二)(四)の損害賠償金総額から前記(三)の保険金額を控除した一、四八九万六、八七四円、および弁護士費用を除いた一、三九二万二、三一三円に対する昭和四一年四月七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
2 原告中山和子、同中山透、同中山順子、同中山とめの損害
(一) 中山一郎の得べかりし利益の喪失
(1) 報酬
(イ) 中山一郎(事故当時四五才)は、日常は健康そのものであつて、昭和三八年原告会社入社後一日の欠勤もなかつた程であるところ、厚生大臣官房統計調査部刊行の第一〇回生命表によれば四五才の男子の平均余命は26.52年であるから、同人はなお右期間生存しかつ同人は原告会社の専務取締役であるから満六三才までの死亡後一八年間は専務取締役として就労可能な筈であつた。
(ロ) 中山一郎は、本件事故当時毎月原告会社より基本給八万一、〇〇〇円、役(参事)手当七、〇〇〇円、国内臨時手当二、〇〇〇円、妻手当三、〇〇〇円、北海道手当一万二、一五〇円、食事手当一、〇〇〇円、専務手当二万円、合計一二万六、一五〇円の支給を受け一年間に夏期賞与二か月分一六万二、〇〇〇円、年末賞与4.18か月分三三万八、五八〇円、石炭手当七万円の支給を受ける予定であつた。加えて、同人の右報酬は昭和四一年度から同五九年度までの一八年間に年間九万円(内訳。月五、〇〇〇円増加、年末および夏期賞与合計基本給の六か月分)づつ昇給することになつていたものである。
(ハ) ところで、北海道における平均生活費は収入の三分の一を上廻らないから、中山一郎の純収益は前記報酬額から右割合の生活費を控除したものである。
(ニ) したがつて、前記一八年間における中山一郎の収益を、死亡時において一時に支給を受けるものとしてホフマン式計算方法によつて年五分の割合による中間利息を控除すれば、二、四四九万九、七〇二円となる。
(2) 退職金
中山一郎は死亡時以降も原告会社の専務取締役として一八年間勤務することになつていたものであるから、同人の一八年後の基本給は一五万八、四〇〇円であるところ、原告会社の退職金内規によれば勤続年数一〇年以上の従業員には一年勤務につき基本給の一か月分が、取締役には一般従業員五割増の退職金が支払われることになつているから、結局同人の退職金は四五一万四、四〇〇円となる筈であつた。
したがつて、右退職金を同人の死亡時に一時に支払われるものとしてホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除すれば、二三七万六、〇〇〇円となる。
(3) 相続
原告中山和子は中山一郎の妻として原告中山透、同中山順子は嫡出子としてそれ前記(1)(2)の損害賠償請求権の三分の一づつを相続した。
(二) 慰藉料
原告中山和子は中山一郎の妻、原告中山透、同中山順子は中山一郎の嫡出子、原告中山とめは中山一郎の母であるところ、右原告らは本件事故によりそれぞれ最愛の夫、父あるいは息子を喪い、絶大な精神的苦痛を受けた。これに対する慰藉料は右原告ら各自につき一〇〇万円が相当である。
(三) 自賠責保険金の受領
原告中山和子、同中山透、同中山順子は、昭和四一年一二月一二日日本火災海上保険会社から自賠責保険金一〇〇万円の支払をうけ、それぞれ相続分に応じてこれを三三万三、三三三円づつ受領した。
(四) 弁護士費用
原告中山和子、同中山透、同中山順子、同中山とめは、弁護士庭山四郎、同下坂浩介に対し本件訴訟の追行を委任し、成功報酬として右両弁護士に請求認容額の七パーセントを支払う旨約した。したがつて右原告らは、各請求額の七パーセント、すなわち、原告和子、同透、同順子につき各六七万六、八〇五円、同とめにつき七万円の損害を被つた。
(五) よつて被告らに対し、原告中山和子、同中山透、同中山順子は、それぞれ前記(一)(二)(四)の損害賠償総額から、前記(三)の保険金額を控除した一、〇三四万五、四五二円および弁護士費用を除いた九六六万八、六四七円に対する昭和四一年四月七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を、原告中山とめは、一〇七万円および弁護士費用を除いた一〇〇万円に対する前記期間、年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
3 原告近藤桂子、同近藤姿子、同近藤和久、同近藤一子の損害
(一) 近藤勉の得べかりし利益の喪失
(1) 賃金
(イ) 近藤勉(事故当時三三才)は昭和三六年八月原告会社に入社し、同四〇年七月以来同社の乗用車運転手として勤務し、過去三年間の事故欠勤数も家事都合による二日間のみで、すこぶる健康であつたところ、厚生大臣官房統計調査部刊行の第一〇回生命表によれば三三才の男子の平均余命は37.04年であるから、同人は右期間生存し、原告会社の就業規則による一般従業員の定年である五六才に達するまで同会社で稼働しえた筈である。
(ロ) 近藤勉は本件事故当時原告会社から一か月当り基本給二万一、五〇〇円、物価手当等九、〇九五円、時間外手当六、四五〇円合計三万七、〇四五円の支給を受け、このほか年間に夏期賞与として基本給の1.5か月分三万二、二五〇円、年末賞与として基本給の三か月分六万四、五〇〇円、石炭手当二万四、〇〇〇円の支給を受けることになつていた。さらに同人の賃金の上昇率は、年間四万円であるから、同人は死亡後五六才に至るまで前記賃金総額に毎年四万円の割合による昇給額を加えた収入を取得した筈である。
(ハ) ところが近藤勉は生前酒・煙草を嗜まず、小遣銭を殆んど費わず子供の教育費等に備えていたから、その生活費は北海道における平均生活費である収入の三分の一の割合を上廻らないものであつた。したがつて、前記期間における同人の賃金による純収益はその総収入から生活費として三分の一を控除したものであり、これを死亡時において一時に支給を受けるものとして、ホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除すれば、一、三〇〇万二、一九一円となる。
(2) 退職金
(イ) 近藤勉は、前記のとおり死亡後二三年間(入社後二八年間)原告会社の従業員として勤務することになつていたところ、原告会社の退職金内規によれば、勤続一〇年以上の従業員には一年勤務につき基本給の一か月分が支払われることになつているから、近藤勉の得べかりし退職金額は前記基本給の上昇率を加算して算出すると一九四万六、七〇〇円となる。
したがつて右退職金を近藤勉の死亡時に一時に支払われるものとしてホフマン式計算法により年五分の割合による中間利息を控除すれば、八六万五、二〇〇円となる。
(ロ) しかし、右原告らは、昭和四一年四月五日原告会社から近藤勉に対する退職金として八万六、〇〇〇円の支払をうけた。したがつて、なお支払さるべき退職金の残金は七七万九、二〇〇円となる。
(3) 治療費
近藤勉は本件事故により苫小牧市立病院において治療を受け、右治療費として八、三一〇円を支出した。
(4) 相続
原告近藤桂子は近藤勉の妻として、原告近藤姿子、同近藤和久はその嫡出子としてそれぞれ前記(1)ないし(3)の損害賠償請求権の三分の一づつを相続した。
(二) 慰藉料
原告近藤桂子は近藤勉の妻、同近藤姿子、同近藤和久はその子、同近藤一子はその母であるが、右原告らは本件事故により最愛の夫、父又は子を喪い絶大な精神的苦痛を受けた。これに対する慰藉料は右原告ら各自につき一〇〇万円が相当である。
(三) 自賠責保険金の受領
原告近藤桂子、同近藤姿子、同近藤和久は昭和四一年一一月二八日日本火災海上保険株式会社から自動車損害賠償責任保険金一〇〇万円の支払を受け、それぞれその相続分に応じて三三万三、三三三円づつ受領した。
(四) 弁護士費用
原告近藤桂子、同近藤姿子、同近藤和久、同近藤一子は弁護士庭山四郎、同坂下浩介に対し本件訴訟の追行を委任し、成功報酬として右両弁護士に各請求認容額の七パーセントを支払う旨約した。したがつて右原告らは、各請求額の七パーセント、すなわち原告桂子、同姿子、同和久につき各三六万八、四二六円、同一子につき七万円の損害を被つた。
(五) よつて、被告らに対し原告近藤桂子、同近藤姿子、同近藤和久はそれぞれ前記(一)(二)(四)の損害賠償金総額から前記(三)の保険金額を控除した五六三万一、六六〇円および弁護士費用を除いた五二六万三、二三四円に対する昭和四一年四月七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を、原告近藤一子は一〇七万円および弁護士費用を除いた一〇〇万円に対する前同期間年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
4 原告稲川利光の損害
(一) 財産的損害
原告稲川は前記一、(4)の傷害を受け、入院治療をしたが、(イ)七二日分の入院附添費として六万一、八一四円、(ロ)治療に必要なコルセット代金として一万二、二〇〇円、(ハ)耳鼻咽喉治療費として八、五八〇円をそれぞれ支出した。
(二) 慰藉料
原告稲川は昭和四一年四月五日から同四二年三月七日まで入院したが、この間に受けた精神的苦痛に対する慰藉料は一か月当り一三万円、合計一四三万円が相当であり、後遺症に対する慰藉料は一〇〇万円が相当である。
(三) 弁護士費用
原告稲川は、弁護士庭山四郎、同下坂浩介に対し本件訴訟の追行を委任し、成功報酬として右両弁護士に請求認容額の七パーセントを支払う旨約した。したがつて、右原告はその請求額の七パーセントにあたる一七万五、八七五円の損害を被つた。
(四) よつて原告稲川は前記(一)(二)(三)の損害賠償総額二六八万八、三八九円および弁護士費用を除いた二五一万二、五一四円に対する本件不法行為の日たる昭和四一年四月七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。
5 原告会社の損害
原告会社専務取締役中山一郎、同従業員松原怜、同近藤勉は、それぞれ原告会社の職務遂行中に本件事故に遭遇したものであるから、本田勝利の右三名に対する前記不法行為はとりもなおさず直接原告会社に対する不法行為と看做すことができるものというべきである。そして原告会社は右不法行為によつて次の損害を被つたものである。
(一) 葬儀費用
原告会社は、昭和四一年四月五日松原・近藤両家の布施等として東本願寺に一五万円、(ロ)中山家の布施として新栄寺に一〇万五、〇〇〇円、(ハ)松原・近藤両家の葬儀祭壇代として葬儀会社に一七万六、〇〇〇円、(ニ)右両家の仏具・供物等の代金として葬儀会社に一万五、三七四円、(ホ)中山家の葬儀祭壇代として勝見造花店に一三万八、〇五〇円、(ヘ)近藤家の霊柩車料金として札幌自動車株式会社に一万〇、九〇〇円、(ト)松原家の霊柩車料金として同社に九、五〇〇円、(チ)中山家の霊柩車料金として同社に一万〇、六〇〇円、(リ)松原・近藤両家の死亡広告代として新生広告社に七万七、〇〇〇円、(ヌ)中山家の死亡広告代として弘報案内広告社に一六万八、〇〇〇円、(ル)葬儀料理代として料理店丸元に二四万七、六〇〇円をそれぞれ支出して同額の損害を被つた。
ところで仮に原告会社の行つた右社葬費用全部が損害として認められないとしても、原告会社が社葬の際に同時に遺族の行うべき葬儀を行つたものであるから、被害者らの社会的身分に相応する費用については、本来損害賠償債務として被告らが弁済すべきものであるところ、原告会社はこれを、被告らのために弁済したので、他の原告らの承諾を得て右損害賠償請求権を代位取得した。
(二) 退職弔慰金
原告会社は、退職弔慰金として中山和子に対し中山一郎の分八〇万円、松原国隆に対し松原怜の分三〇万円、近藤桂子に対し近藤勉の分三〇万円をそれぞれ支払い、同額の損害を被つた。
(三) 休業損失
原告会社は、別表(四)「休業損失明細」記載のとおり、遺体引取前後措置、社葬参列等同表「事由」欄記載の事由のために同表(1)の日時に同表(2)の一部従業員を休業させたにもかかわらず、同表(2)(3)の人件費を支出し、さらに、右休業により同表(4)の付加価値を失い、結局合計一九七万五、三〇〇円の損失を被つた。
(四) 休業手当
原告稲川利光は、本件事故発生の日から昭和四二年五月三〇日退職するに至るまでの一三か月間、同原告が本件事故のため入院および治療をなし原告会社の職務を遂行しえなかつたため、毎月三万二、〇〇〇円の割合による賃金として合計四一万六、〇〇〇円の損害を被つたところ、原告会社において、被告らが支払うべき右損害賠償債務を被告らのために支払つたので、他の原告らの承諾を得て、右損害賠償債権を代位取得した。
(五) 事故自動車損失額
原告会社所有の本件乗用車およびその附属のクーラーは本件事故によつて損傷をうけ、これにより原告会社はそれぞれ五五万円および一八万円合計七三万円の物的損害を被つた。
(ホ) 弁護士費用
原告会社は弁護士庭山四郎、下坂浩介に対し本件訴訟の追行を委任し、成功報酬として請求認容額の七パーセントを支払う旨を約したから、その請求額の七パーセントにあたる三九万四、〇五二円の損害を被つた。このほか、原告会社は他の原告らの分をも含めて両弁護士に対し本訴のため着手金として五〇万円、諸費用として一九万三、六一一円を支払つたが、このうち、自己の訴訟追行に要した分については同額の損害を被つたことになり、また、他の原告らの訴訟追行に要した分については被告らが支払うべき損害賠償債務を代つて弁済したことになるので、他の原告らの承諾を得て右損害賠償請求権を代位取得したから、結局右着手金、諸費用金額につき請求権を有することになる。
(七) よつて、原告会社は、被告らに対し前記(一)ないし(六)の損害賠償総額六七一万六、九八七円および弁護士費用を除いた五六二万九、三二四円に対する昭和四一年四月七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める。<以下略>
理由
一、本件事故の発生
本件事故の発生に関する請求原因一の事実は、原告らと被告機械開発との間においては争いがなく、原告らと被告建設運搬との間においては中山一郎の死亡と本件事故との因果関係の点を除き、争いがない。
そこで、まず、中山一郎が本件事故によつて死亡したか否かの点について判断する。<証拠>によると、中山一郎の死因は頭部の左側に加えられた強力な打撲が頭部の左側の脳の損傷と高度の脳浮腫を惹起し、脳幹部を圧迫し、呼吸中枢に障害をきたさせたためであると認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。また、<証拠>を総合すると、本件ダンプカーが本件事故当時毎時四五キロメートルの速度で進行中、本件乗用車と正面衝突した直後に、本件乗用車に後続していた赤松明の運転するルートバン型普通貨物自動車の右前部が本件乗用車の左側後部に衝突したこと、中山一郎は当時本件乗用車の進行方向に向つて後部座席右側に座つていたことが認められ、中山の座席の位置について右認定と反する証人葛西清の証言は前掲各証拠に対比して採用できず、他に以上の認定を覆えすに足りる証拠はない。そして、原告稲川利光本人尋問の結果によれば、原告稲川の乗車位置は本件乗用車の進行方向に向つて後部座席左側であるから、同原告は赤松明の運転する後続車の追突による衝撃が最も強く、本件ダンプカーとの衝突による衝撃からは最も遠い位置に乗車しながら死を免れたこととなり、また、<証拠>によれば、同原告は既にダンプカーとの衝突の時に失神してしまつたことが認められ、これらの事実に本件ダンプカーと普通貨物自動車である赤松明運転の後続車との重量差などを考えれば、本件ダンプカーによる衝撃が赤松明の運転する後続車の衝突による衝撃より大きく、これが中山一郎の直接の死因となつた可能性が大きいものと認められる。また仮に、同人の直接の死因となつた頭部に対する打撲が後続車の衝突による衝撃にも基因し、かつ、後続車に車間距離不保持の過失があつたとしても、前記のような事実関係および後記二(二)(2)の認定の事実からみれば本件ダンプカーと本件乗用車との衝突が同人の死亡の一因をなす関係にあることは否定できず、かつ本件におけるこの関係が社会通念上一般にはあり得ない異常な事態であるとも認められないところであるから、そのことによつて中山一郎の死亡と本件ダンプカーとの衝突との因果関係に消長を来すものではない。
二、被告らの責任原因
(一) 被告機械開発の責任原因
『被告機械開発が昭和四一年四月苫小牧工業港港湾造成の土木工事を請負い、同被告所有の本件ダンプカーを含む約三〇台のダンプカーを被告建設運搬に貸与して右工事の一部である土砂の運搬等を下請けさせていたこと、被告機械開発は被告建設運搬に貸与していた本件ダンプカーを含む前記ダンプカーを自社の苫小牧出張所の空地に毎日駐車格納させていたこと、右ダンプカーにはその荷台の両側に大きく被告機械開発の名称を、運転台のドアの両側には小さく同被告の名称およびマークをそれぞれ表示していたこと、同被告は、自社の寄宿舎の一部を被告建設運搬に提供し同被告の従業員を入居させていたこと、被告機械開発はその開発ビル内にある同社の苫小牧出張所の事務室内で被告建設運搬の従業員を執務させたことがあることは、いずれも当事者間に争いがない。また、<証拠>を総合すると、被告建設運搬は昭和二八年以来免許を受けて一般自動車事業を行なつているものであるが、同被告の資本金のうち三割五分は被告機械開発の出資になるものであり、被告建設運搬の監査役には被告機械開発の取締役川岸周司が出向してきて就任していたこと、被告建設運搬の代表取締役信濃政雄も被告機械開発の肩書き入りの名刺を使用したことがあること、本件事故当時被告建設運搬は被告機械開発の事業につき自動車による運搬業務を一括して下請けしており、被告建設運搬の従業員約七〇名のうち三八名が被告機械開発の苫小牧港港湾造成工事に従事していたこと、右両被告間のダンプカー賃貸借契約においては、被告建設運搬は、借りうけたダンプカーを被告機械開発の指定する工事以外に使用してはならないものとされていたこと、被告機械開発は、前記下請契約のさいに被告建設運搬に対し作業内容、方法、盛土の場所等につき一般的に指図をし、被告機械開発の苫小牧出張所長が工事責任者として工事現場を巡回するとき工事の進捗状態について指示をしていたこと、被告建設運搬の土砂運送に先立ち土砂のトラックへの積込みは、被告機械開発が重機械を用いて行ない、同被告は盛土場所に自社の従業員を派遣して、被告建設運搬のトラックが土砂を運搬してくる度に運転手のカードに押印させて運搬を確認していたことが認められ、右認定に反する証拠はなく、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。さらに被告建設運搬の運転手本田が右下請作業の執行中に本件事故を惹起したことは後記(二)において述べる事実および争いのない請求原因一の事実から明らかなところである。以上の諸事実を勘案すれば、元請人である被告機械開発は、下請人である被告建設運搬の被用者本田の運転するトラックの運行に対し支配を及ぼしうる地位にあると同時に、同被告と本田との間に使用者・被用者間の関係と同視しうる関係があつたものと認められるから、被告機械開発は本件ダンプカーの運行供用者であり、かつ民法七一五条にいう使用者に該当するものというべきである。したがつて、同被告は本田が右下請作業を執行中に後記過失によつて惹起した本件事故による損害については運行供用者責任のみならず、使用者責任(物的損害につき)をも負うべきものである。』
(二) 被告建設運搬の責任原因
(1) 被告建設運搬が本件事故当時被告機械開発所有の本件ダンプカーを借り受けて土砂の運搬等を行ない、これを自己の運行の用に供していたことは当事者間に争いがない。
(2) また、争いのない請求原因一の事実によれば、被告建設運搬の被用者である本田勝利が本件事故当日本件ダンプカーを運転して同被告の土砂運搬等の業務に従事していたところ、右ダンプカーの修理が必要となり、修理に赴く途中本件事故を惹起したのであつて、右のように、本田が本件ダンプカーを修理のため修理工場へ赴くべく運転した行為は、被告建設運搬の前記業務遂行に必要な行為であるから、同被告の業務執行行為に含まれるものというべきである。
そこで、次に本田の過失の有無について検討する。
原告は、本件事故現場が上り坂の頂上附近で追越し禁止、かつ、徐行の地点である旨主張するが、成立につき争いのない甲第九、第一三号証および証人本田勝利の証言によると、右現場はなるほど上り勾配のある道路の約八割程度を上つた地点ではあるけれども、右勾配は約三度のごく緩やかな上りに過ぎないことが認められ、また、成立につき争いのない甲第一号証の一五、一六、前掲甲第一三号証によつても、右現場が右勾配およびその他前方の状況のために前方の見通しが特に悪く、反対方向からの車両・通行人等と突然衝突し或いは先行車等に突然追突するおそれがある場所とは認められないから、本件事故現場が道路交通法三〇条および三二条にいう「上り坂の頂上附近」に該当するものということには疑問があるので、本田が本件事故現場で徐行せず、また、追越しの措置に出たこと自体をもつて直ちに過失とすることはできない。しかしながら、前掲甲第九、第一三号証、成立につき争いのない甲第一〇、第一一、第一四、第一七号証、証人本田勝利、同葛西清の各証言を総合すると、本田勝利が本件ダンプカーを毎時約四五キロメートル(法定制限速度四〇キロメートル)で運転して前記陸橋中野橋の手前でゆるやかな左曲りのカーブにさしかかつた際、自車の進路前方を同一方向に向い毎時一五キロメートルの速度で道路の中央線寄りを進行していた大型貨物自動車に追いつき、これを追い越そうとしたことが認められ、右認定に反する証拠はない。ところで、一般に自動車運転者は、前車を追い越すに際しては、反対の方向からの交通に十分注意し、かつ、前車の速度および進路ならびに道路の状況に応じて、できる限り安全な速度と方法で進行すべき義務があるというべきところ(道路交通法二八条三項参照)、本件において、右先行車が道路の中央線寄りを進行していたため、本田は右側前方に対する視野が妨げられ、見通しの悪い状態にあつたのであるから、同人としては、充分な車間距離をおくなどして事前に右側の対向車線の状況を充分に見通しうる状態になるのを待ち、安全に通行できることを確認したうえでなければ、追越しのため対向車線に侵入して進行してはならない注意義務があつたものというべきである。
ところが、<証拠>を総合すると、本田は右注意義務を怠り、対向車線の交通状況を確認することなく、ただ、漫然と前記速度で右先行車を追越すため、ハンドルを右に切つて対向車線に侵入しようとしたこと、そして本田は自車前部が中央線を越えかけた頃始めて、約三〇メートル前方の対向車線上を対進して来る本件乗用車を発見し、急ブレーキをかけたが間に合わず、自車をそのまま右斜め前方に滑走させて、本件乗用車に激突させたことを認めることができ、<反証―排斥>他に右認定を覆えすに足りる証拠はない。
したがつて、被告建設運搬は、本件事故による後記の物損については民法七一五条に基づき、その他の後記損害については自賠法三条に基づき、それぞれ損害すべき義務を負うものというべきである。
三、自賠法三条に基づく免責の成否
本田勝利が本件ダンプカーの運行につき無過失であつたとの被告建設運搬主張の抗弁事実は、本件全証拠によるもそれを認めるに足らず、却つて、同人に過失があつたことは、前項において認定したとおりである。したがつて同被告主張の免責の抗弁は、その他の点について判断するまでもなく、理由がないことが明らかである。
四、損害の算定
1 原告松原国隆、同松原俊枝(以下「原告松原ら」という。」の損害
(一) 松原怜の得べかりし利益の喪失
(1) 賃金
(イ) <証拠>によると、松原怜(昭和一八年二月二一日生、本件事故当時二三才)は高校、大学を通じテニス、野球等の選手として過ごしてきた生来健康な青年であつたことが認められるから、同人は、本件事故に遭遇しなければ、右事故の時以降、厚生省統計調査部発表の第一一回生命表によつて明らかな二三才の男子の平均余命期間である46.37年間生存しえたものと認定することができる。
(ロ) そして<証拠>を総合すると、松原怜は昭和四一年四月原告会社へ大学卒の技術系従業員として入社し、同人は本件事故当時、一か月当り基本給二万〇、五〇〇円、物価手当三、三七五円、住宅手当一、〇〇〇円、資格手当(加給)二、五〇〇円、精勤手当一、六四〇円、合計二九、〇一五円の支給を受けるほか、年間に夏期賞与として基本給の1.6か月分三万二、八〇〇円、年末賞与として基本給の3.2か月分六万五、六〇〇円の支給を受ける予定であつたことを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。しかしながら、同人が年間一万二、〇〇〇円の石炭手当の支給を受けることとなつていたとの原告松原らの主張事実は、前掲甲第一八号証の一をもつてはいまだ具体的な金額を認めるに足らず、他に右事実を認めるに足りる証拠はない。したがつて、同人は本件事故がなければ昭和四一年度(昭和四一年四月から昭和四二年三月まで、以下同じ)は年間四四万六、五八〇円の収入をあげえたものというべきである。
(ハ) ところで、<証拠>を総合すると、原告会社は明治年間に個人企業として創立され、漸次規模を拡大して昭和三五年に株式会社に改組し、この間、昭和三三年来木下産商株式会社の指定工場となつてその投資援助を受け、昭和四〇年以降は木下産商株式会社を合併した三井物産株式会社の関連会社となり、昭和四一年には資本金五〇〇万円、年間総生産高七億一、〇〇〇万円、純利益一、二〇〇万円、従業員数一四五名の規模に発展してなお毎年生産高、利益高を増大しつつあつて、札幌市における鉄鋼業界で五大企業中に列するものと自負していることが認められ、したがつて原告会社は中小企業とはいえ将来かなり安定した営業状態をつづけ、倒産するおそれなどまずないことが推認され、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
ところで原告松原らは、松原怜が将来原告会社の取締役の地位につくことは確実に予測される旨主張し、証人伊東光盛もその可能性を肯定する証言をする(第一回証言)。なるほど、同証言によれば、松原怜は原告会社の社長の長男であり、同社には大学卒の学歴を有する従業員は松原怜のほかに一名(入社後四年で課長職にある)いるのみであることが認められるが、これらの事実のみをもつてしては、未だ二三才に過ぎず、かつ、なんら職務上の実績を残すことなく入社早々死亡した松原怜が将来ある程度昇進の途をたどることは予測し得ても、確実に原告会社の取締役まで昇進するものと予測することは困難である。したがつて、右証言は採用することができない。してみると、松原怜は証人伊東光盛の証言(第一回)によつて認められる原告会社の一般従業員としてその停年である五六才に至るまで三二年間(三二年と一〇か月であるが、計算の便宜、かつ控え目な計算のため、月以下を切捨てて三二年間とする。)原告会社において稼働することができたものと推定することができる。
(ニ) ところで、<証拠>を総合すると、原告会社の従業員の基本給は、年令給、勤続給、職能給からなつているため、その昇給は毎年三月末日における年令、六月末日における勤続年数によるほか、当年の当該従業員の実績によつて原告会社所定の賃金表に従い定められることになつていること、また、賃金表は年々改訂され、賃金上昇率が高い場合には表の上での昇給幅を低く押えていること、さらに従業員が役職につく場合には昇給に特別の配慮がなされていること、原告会社では従来大学卒業者の従業員は殆んどいなかつたので、このような従業員の通常の昇給の仕方なども確立しているとはいえないことが認められ、右認定に反する証拠はない。してみると、原告会社の特定の従業員(とくに大学卒の者)の将来の給与を予測する場合、賃金規定や現在の賃金表から機械的にこれを予測することは極めて困難であり、むしろ、同等と目される従業員の現実の昇給の仕方を検討してこれを推測するほかないものと考える。
そこで、これを松原怜についてみてみると、<証拠>によれば、原告会社で昭和四一年当時勤続五年、唯一の大学卒で既に課長になつていた土田藤夫(当時三〇才)の基本給は一ケ月につき前年に比し昭和四〇年度に二、六二五円、同四一年度に六、二五〇円、同四二年度に四、〇〇〇円、同四三年度に五、二五〇円(以上の年間平均四、五三一円)ずつ上昇したこと、当時勤続四年で工業高校卒の内藤勝雄(当時二六才)の基本給は一ケ月につき前年に比し昭和四〇年度に四、〇〇〇円、同四一年度に三、三七五円、同四二年度に三、五〇〇円、同四三年度に四、六二五円(以上の年間平均三、八六五円)ずつ上昇したこと、さらにほぼ同等と目される勤続三年の谷本峯行(当時二八才)の基本給も一ケ月につき前年に比し昭和四〇年度には三、八七五円、同四一年度には三、二五〇円、同四二年度には、三、五〇〇円、同四三年度には四、六二五円(以上の年間平均三、八一二円)ずつ上昇したことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。右事実に基づき確実かつ控え目に松原怜の基本給の上昇の程度を予測するには土田は松原怜と同じく大学卒ではあるが、年令も高く、短期間に異例の昇進を遂げているものであるから、同人の昇給によることはできず、むしろ年令、勤続年数の近い内藤、谷本のそれによるべきものと考えられ、したがつて、松原怜の一ケ月の基本給の昇給は停年退職に至るまでの期間を通じて年間平均三、八〇〇円と推定するのが相当である。これによつて松原怜が五六才に達するまでの毎年の基本給を算出すると、別表(一)の(1)欄記載のとおりとなる。
次に松原怜が昭和四一年度に得べかりし年間給与(毎月の基本給、諸手当および夏、冬の賞与の合計)が四四万六、五八〇円であることは前記のとおりであるが、その後における年間給与につき予想される上昇額を検討してみると前記のとおり原告会社において松原怜とほぼ同等と目される従業員である内藤勝夫、谷本峯行の昭和三九年から同四三年に至る四年間における年間給与の平均上昇額は、<証拠>によると、内藤につき八万〇、八四七円、谷本につき七万二、四一六円であることが認められる。したがつて、右事実よりすれば松原怜の年間給与の将来の上昇額は、少なくとも昭和四一年度から同四六年度までは原告松原両名の主張する五万四、〇〇〇円、同四七年度から同五八年度までは同じく原告松原両名の主張する六万七、二〇〇円をそれぞれ下廻ることはないものと推測されるから、昭和五八年度までの同人の上昇額は原告らの右主張額に従つて算出し同五九年度以降のそれは、前記内藤、谷本両名の場合と対比し控え目にみて七万二、〇〇〇円と予測するのが相当である。そこで、以上の数値に従つて算出した松原怜の各年度における年間給与は、別表(一)の(2)欄の記載のとおりである。
(ホ) 他方総理府統計局の昭和三九年度の「全国消費実態調査報告」によると、平均月収二万五、〇〇〇円から二万九、九九九円までの男子単身者世帯の消費支出のうち生活費と目されるもの(仕送り金を除いたもの)は二万一、六〇六円であり、したがつて、その生活費の収入に対する割合が七四ないし八六パーセントであることは当裁判所に顕著な事実であるから、松原怜の生活費も独身の間はその月収額に鑑み、その収入の八割と認めるのが相当である。そして厚生省の昭和四三年発表の「人口動態統計」によると、昭和三五年度および同四一年度における男子の平均初婚年令がいずれも約二七才であることは公知の事実であるから、松原怜も満二七才に達する本件事故後四年間は右の割合による生活費を支出するものと推測することができる。また、<証拠>によると、北海道における平均月収三万円台(三万円ないし三万九、九九九円)、世帯人員3.8名の世帯の消費支出中生活費とみるべきもの(消費支出のうち仕送金を除いたもの、以下同じ)が三万三、八六二円であり、平均月収四万円台(四万円ないし四万九、九九九円)、世帯人員4.1名の世帯の消費支出中生活費とみるべきものが四万一、一四四円であり、平均月収五万円台(五万ないし五九、九九九円)世帯人員4.28名の世帯の生活費が四万七、七五九円であり、平均月収六万円台(六万円ないし六万九、九九九円)世帯人員4.56名の世帯の生活費が五万八、六九一円であることが認められ、右月収に達する時点における松原怜の家族構成、各家族の消費指数などを考慮すると同人の生活費は平均月収三万円ないし五万円台においては通じて月収の四〇パーセントと推定され、右をこえる月収をあげる場合には原告松原両名の自認する「収入の三分の一」を上廻らないことが明らかである。したがつて、松原怜は、同人が結婚するものと推認される事故後五年目以降それぞれ右のような割合による生活費を支出するものというべきである。
(ヘ) してみると松原怜の各年度における純収益は、前記のとおり算出した別表(一)(2)の各年収から、松原怜が独身でいるものと推測される事故後四年間は年収の八割、結婚後平均月収が六万円に達しないものと推測される五年目と六年目は年収の四〇パーセント、平均月収が六万円以上となるものと推測されるそれ以降は年収の三分の一の各生活費をそれぞれ控除した金員(別表(一)(3))である。そして、本件事故の時点において同人の右時点以降三二年間の純収益を一時に支払を受けるものとし、複式ホフマン式計算法(年毎)によつて年五分の割合による中間利息を控除すると、その現価は同表の(4)のとおり一、五〇六万二、四九三円となる。
(2) 退職金
松原怜の本件事故の三二年後の停年退職時における基本給額が一三万八、三〇〇円であることは前記認定(別表(一)の(1))のとおりである。ところで、<証拠>によると、原告会社において勤続年数満一〇年以上の従業員に対しては勤続一年につき基本給の一か月分の退職金が支給される旨定められていることが認められるから、勤続三二年の松原怜の退職金は四四二万五、六〇〇円である。そこで右退職金が本件事故の時点において一時に支払われるものとし、ホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、その現価は一七〇万二、〇八五円となる。
(3) 相続
<証拠>によると、原告両名が松原怜の父母であつて、他に相続人がいないことが認められるから、右原告らは同人の死亡によつて前記(1)、(2)の各損害賠償請求権をそれぞれ二分の一すなわち八三八万二、二八九円づつ相続したものというべきである。
(二) 原告松原両名の慰藉料
<証拠>によると、松原怜は昭和四一年三月芝浦工業大学を卒業し原告会社に入社したばかりの青年で、両親である右原告両名は長男怜の将来に期待をかけていたところ、本件事故によつて右怜を失い、甚大な精神的苦痛を受けたことが認められる。そしてこのような右原告らの精神的苦痛に対する慰藉料は原告松原らの主張する各自一〇〇万円が相当と認められる。
(三) 自賠責保険金の控除
ところで原告松原両名が昭和四一年一一月二八日自賠責保険金として各五〇万円の支払をうけたことは当事者間に争いがないところ、右弁済は右原告らの前記損害額に充当されたものというべきである。そうすると、原告松原両名の損害額は各八八八万二、二八九円となる。
(四) 弁護士費用
<証拠>によると、原告松原両名は弁護士庭山四郎、同下坂浩介に対し本件訴訟の追行を委任し、右両弁護士に成功報酬として請求認容額の七パーセントの金員を支払う旨約したことが認められる。ところで、原告松原両名の各損害額は、前記のとおり八八八万二、二八九円であるから、右原告らは、右約旨に従い前記弁護士らに対し弁護士報酬として各自六二万一、七六〇円の支払義務を負つているところ、右は本件訴訟の難易の程度、請求認容額その他諸般の事情に照らし本件事故と相当因果関係に立つ損害というべきである。
(五) したがつて被告らは各自原告松原両名に対し、それぞれ本件事故による損害として合計九五〇万四、〇四九円の支払義務を負うものというべきである。
2 原告中山和子、同中山透、同中山順子、同中山とめ(以下「原告中山ら」と総称する。)の損害
(一) 中山一郎の得べかりし利益の喪失
(1) 報酬
(イ) <証拠>によると、中山一郎(大正九年七月二六日生、本件事故当時四五才)は昭和四〇年原告会社へ入社以来一日の欠勤もなく勤続してきた健康な男子であつたことが認められるから、同人は本件事故に遭遇しなければ、右事故の時以降、前掲の第一一回生命表によつて明らかな四五才の男子の平均余命期間である26.61年間生存しえたものと推定することができる。そして<証拠>によると、中山一郎は本件事故当時原告会社の専務取締役であつて、原告会社においては専務取締役は六三才まで勤務するものとされていることが認められるから、同人も六三才に達するまでの今後一七年間(一七年三月であるが、松原怜同様一七年間とする)原告会社で稼働することができたものということができる。
(ロ) <証拠>を総合すると、中山一郎は三井物産株式会社札幌支店から出向の形で専務取締役として原告会社へ入社したもので、本件事故当時原告会社から毎月基本給八万一、〇〇〇円、役付手当二万七、〇〇〇円、家族手当三、〇〇〇円、加給一万二、一五〇円、物価手当三、〇〇〇円、合計一二万六、一五〇円の支給を受けていたほか、一年間に夏期賞与として基本給の二か月分一六万二、〇〇〇円、年末賞与として基本給の4.18か月分三三万八、五八〇円の支給を受ける予定であつたことが認められ、右認定に反する証拠はないが、同人が石炭手当七万円の支給を受けることになつていたとの原告中山らの主張事実はこれを認めるに足りる証拠がない。したがつて、同人は本件事故がなければ昭和四一年度は、年間二〇一万四、三八〇円の収入をあげ得たものというべきである。
(ハ) そこで、その後における同人の年間給与(毎月の基本給、諸手当および夏・冬の賞与の合計)につき予想される上昇額を検討する。<証拠>を総合すると、中山一郎は三井物産株式会社札幌支店におけると同等の給与及び昇給が保障されており、同人が三井物産株式会社札幌支店で勤務していたと仮定した場合の月額給与は昭和四〇年度は基本給が七万四、四〇〇円、諸手当等を含めた総額が九万八、五六〇円、昭和四一年度は基本給が八万一、〇〇〇円、諸手当を含めた総額が一一万三、六五〇円、同四二年度は、基本給が八万四、〇〇〇円、諸手当を含めた総額が一二万五、一五〇円であることが予測され、かつ<証拠>によると、三井物産株式会社札幌支店におけるほぼ同等の職員の昭和三九年度から同四三年度までの各年度の昇給が中山の右の昇給の程度を遙かに上廻つていることが認められるから、同人の右程度の昇給が昭和四三年度以降も続くものと認められる。この事実によれば、中山一郎は昭和四一年以降毎年少なくとも原告中山ら主張の年間九万円の昇給を受けることは明らかというべきである。これによつて、中山一郎が六三才に達するまでの毎年の年収を算出すると別表(二)の(1)欄記載のとおりとなる。
(ニ) <証拠>(昭和四〇年度北海道家計調査結果)によると、昭和四〇年度における北海道の月額実収入が一〇万円以上の世帯人員4.53人の世帯においては、世帯主の勤め先収入が一一万二、五三〇円、消費支出のうち生活費と認められるものが七万六、二〇〇円であること、世帯主の年令が四五才以上五〇才未満で世帯人員4.59人の世帯における消費支出のうち生活費と認められるものが五万三、八六三円であることが認められるから、いずれにしても前記のとおり一二万以上の月収を有する当時四五才の中山一郎(<証拠>によると同人の世帯員は四人である。)個人の生活費は原告中山らの自認する「中山一郎の収入の三分の一」を上廻らないことは明らかである。
(ホ) そこで(イ)ないし(ハ)に基づき算出した年収から(ニ)の生活費(年収の三分の一)を控除すると、中山一郎の各年における純収益が算出されるところ(別表(二)の(2)欄)、原告中山らが本件事故の時点において以降一七年間の中山一郎の右収益を一時に請求するとして、右収益から複式ホフマン式計算(年毎)に基づき、年五分の中間利息を控除して計算すると、その現価は別表(二)の(3)欄記載のとおり二、一四〇万一、四一二円となる。
(2) 退職金
<証拠>によると、前記のとおり三井物産株式会社における中山一郎と同等の従業員と目される鹿児島あきら、藤井鎮方、上野某の昭和三九年度から同四三年度までの四年間における基本給(月間)の上昇額は、それぞれ、四、三五〇円、六、八二五円、六、〇七五円であることが認められるところ、中山一郎が原告会社において三井物産と同程度の昇給を保障されていたことは前記認定のとおりであるから、中山一郎の基本給の昇給額は控え目にみて年毎に四、三〇〇円と推定することができる。
したがつて、同人の一七年後の停年退職時における基本給は一四万九、八〇〇円となる。ところで<証拠>によると、勤続年数満一〇年以上の従業員に対しては勤続一年につき基本給の一か月分の退職金が支給され、会社役員に対しては通常の従業員の五割増の退職金が支払われることが認められるから、一八年間勤続しかつ、原告会社専務である中山一郎の退職金は四〇四万四、六〇〇円となる筈であつた。そこで、右退職金が中山一郎の死亡時に一時に支われるものとしてホフマン式計算方法により年五分の割合による中間利息を控除すると、二一八万六、一〇六円となる。
(3) 相続
<証拠>によると、原告中山和子は中山一郎の妻、原告中山透、同中山順子は同人の嫡出子として、それぞれ同人の権利の三分の一づつを相続する地位にあることが認められ、右原告らは同人の死亡によつて同人の右(1)(2)の損害賠償請求権を三分の一、すなわち七八六万二、五〇六円づつ相続したものというべきである。
(二) 原告中山らの慰藉料
原告中山和子が中山一郎の妻、原告中山透、同中山順子が同人の子であることは前記認定のとおりであり、前掲甲第五五号証によると、原告中山とめが同人の母であることが認められるところ、右甲第五五号証、原告中山とめ本人尋問の結果および右結果により真正に成立したものと認められる甲第五六号証によると、本件事故による中山一郎の死亡によつて原告和子は当時中学一年の長男および小学一年の長女をかかえて途方にくれ、また原告透、同順子は幼くして子ぼんのうだつた父を喪い、将来にわたつて父親のいない不幸を忍ばなければならなくなり、さらに、原告とめは六七才の老令で頼りにしてきた長男を喪い、このため右原告らはそれぞれ甚大な精神的打撃を受けたことが認められる。
したがつて、その精神的苦痛に対する慰藉料は原告和子につき一〇〇万円、同透、同順子につき各七〇万円、同とめにつき六〇万円が相当であると認められる。
(三) 自賠責保険金の控除
原告和子、同透、同順子が昭和四一年一二月一二日それぞれ三三万三、三三三円(合計一〇〇万円)の支払をうけたことは当事者間に争いがないから、右金額を右原告らの各損害額から控除すべきである。
(四) 弁護士費用
成立につき争いのない甲第四七号証および弁論の全趣旨によると、原告中山和子、同中山透、同中山順子が弁護士庭山四郎、同下坂浩介に対し本件訴訟の追行を委任し、右両弁護士に成功報酬として各請求認容額の七パーセントの金員を支払う旨約したことが認められる。ところで、保険金を控除した原告中山和子の損害額は八五二万九、一七三円、原告中山透、同中山順子の各損害額は八二二万九、一七三円であり、原告中山とめの損害額は前記のとおり六〇万円であるから、前記弁護士らに対し弁護士報酬として原告和子は五九万七、〇四二円、原告透、同順子は各五七万六、〇四二円、同とめは四万二、〇〇〇円の支払義務を負つているところ、右は本件訴訟の難易の程度、請求認容額、その他諸般の事情に照らし本件事故と相当因果関係に立つ損害というべきである。
(五) よつて被告らは、各自原告中山和子に対し金九一二万六、二一五円、原告透、同順子に対しそれぞれ八八〇万五、二一五円、原告とめに対し六四万二、〇〇〇円の支払義務があるものというべきである。
3 原告近藤桂子、同近藤姿子、同近藤和久、同近藤一子(以下「原告近藤ら」と総称する。)の損害
(一) 近藤勉の得べかりし利益の喪失
(1) 賃金
(イ) <証拠>を総合すると、近藤勉(昭和八年一月二五日生、本件事故当時三三才)は昭和三六年八月原告会社に入社し、同四〇年七月以来同社の乗用車の運転手として勤務しその間、病気欠勤もなく至つて健康であつたことが認められるから、同人は本件事故に遭遇しなければ、右事故の時以降前掲の第一一回生命表によつて明らかな三三才の男子の平均余命期間である37.33年間生存しえたものと推定することができる。そして同人も原告会社の一般従業員の停年である五六才に至るまで二二年間(二二年一〇月弱であるが、松原怜同様二二年とする)原告会社において稼働することができたものと推定される。
(ロ) <証拠>によると、近藤勉は本件事故当時原告会社から一か月当り基本給一万九、五〇〇円、物価手当三、三七五円、家族手当三、五〇〇円、精勤手当一、五六〇円、超過勤務手当(三か月平均)七、六五八円、合計三万五、五九三円の支給をうけていたことが認められ、また、原告会社の従業員が昭和四一年度の夏期賞与として基本給の1.6か月分、年末賞与として基本給の3.2か月分の支給をうけることになつていたことは前記認定のとおりであるから、近藤勉も右割合(基本給の4.8か月分)による賞与九万三、六〇〇円の支給を受けることになつていたものと推定することができ、右認定に反する証拠はない。しかし、右原告ら主張の石炭手当は、<証拠>をもつてしてはいまだその具体的金額を認定するに足らず、他にこれを認めるに足りる証拠はない。したがつて、同人は本件事故がなければ昭和四一年度は年間五二万〇、七一六円の収入をあげ得たものというべきである。
(ハ) 次に近藤勉の将来の昇給額について検討する。原告会社においては従業員の将来の給与につき賃金規定などから機械的に算定できない事情にあることは、さきに松原怜の昇給についてみたとおりである。したがつて、近藤勉の将来の昇給を算定するには、同社における同人と同等の従業員の実際の昇給と対比して、これから推測するほかない。<証拠>によると、原告会社において昭和四一年当時勤続四年で学歴、職歴ともに近藤勉と異ならない藤江五十六(当時二三才)の基本給(月間)が昭和三九年から同四三年までの四年間に一万一、三七五円(年間平均二、八四三円)上昇し同じく勤続四年で学歴・職歴の異ならない田畑辰男(二三才)の基本給が同三九年から同四三年までの四年間に一万一、八七五円(年間平均二、九六八円)上昇し、勤続二年で学歴・職歴も同様の岡本紀男(二五才)の基本給が同三九年から同四三年までの四年間に一万二、〇〇〇円(年間平均三、〇〇〇円)上昇したことが認められ、右認定に反する証拠はない。そして右事実に基づき確実な限度でかつ控え目に算定するとすれば、近藤勉の基本給の上昇の程度は年間平均二、八〇〇円と推定するのが相当である。そこで、これによつて、近藤勉が五六才の停年退職時に達するまでの毎年の基本給を算出すると、別表(三)の(1)欄記載のとおりである。
次に近藤勉が昭和四一年度に得べかりし年間給与(毎月の基本給、諸手当および夏・冬の賞与の合計)が五二万〇、七一六円であることは前記のとおりであるが、その後における年間給与につき予想される上昇額を検討してみると、前記のとおり原告会社において近藤勉とほぼ同等と見るべき従業員である藤江五十六、岡本紀男、田畑辰男の昭和三九年度から同四三年度までの四年間における年間給与の平均上昇額は、<証拠>によると、藤江につき九万七、一九四円、岡本につき六万九、九三〇円、田畑につき六万六、七七四円であることが認められる。したがつて、右事実よりすれば、近藤勉の年間給与の将来の上昇額は、原告近藤らの主張する四万円を下廻らないものと推測されるから、昭和四二年度以降の同人の上昇額を原告らの右主張額に従つて算出すると、同人の各年における年間給与額は別表(三)の(2)欄の記載のとおりとなる。
(ニ) ところで<証拠>によると、北海道における平均月収三万円ないし三万九、九九九円、世帯人員3.81名の世帯の消費支出のうち生活費が三万三、八六二円であることが認められるから、月収三万五、五九三円、世帯人員四名の近藤勉の生活費が同人の家族構成およびその消費指数など考慮すると原告近藤らの自認する「収入の三分の一」を上廻らないことが明らかである。したがつて同人の年間純収益は前記算定になる別表(三)の(2)記載の年収からその三分の一の生活費を控除したもの(同表(3))となる。そこで同人が本件事故の時点において右時点以降二二年間の給与による得べかりし利益を一時に支給を受けるものとし、複式ホフマン式計算法(年毎)により年五分の割合による中間利息を控除すると、その現価は八六二万九、八三五円となる(同表(4))。
(2) 退職金
原告会社においては勤続年数満一〇年以上の従業員に対しては勤続一年につき基本給の一か月分の退職金が支給される旨定められていることは前記認定のとおりであり、前記認定の事実を総合すると昭和三六年八月に入社した同人は結局勤続二七年となる筈であつたことが認められるから、同人の退職金は、停年退職時の基本給七万八、三〇〇円の二七倍、すなわち、二一一万四、一〇〇円である。そこで右退職金が本件事故の時点において一時に支払われるものとし、ホフマン式計算法によつて年五分の割合による中間利息を控除して計算すると、その現価は一〇〇万六、七三四円となる。
(二) 近藤勉の治療費
原告ら主張の近藤勉の苫小牧市立病院における治療費支出の事実については、これを認めるに足りる証拠がない。
(三) 相続
<証拠>によると、原告近藤桂子は近藤勉の妻、原告近藤姿子、同近藤和久は同人の嫡出子であつて、同人の権利をそれぞれ三分の一づつ相続する地位にあることが認められるから、右原告らは同人の死亡により、前記(一)の損害賠償請求権を三分の一、すなわち三二一万二、一八九円づつ相続したものというべきである。
(四) 原告近藤らの慰藉料
原告近藤桂子、同姿子、同和久の近藤勉との身分関係は前記認定のとおりであり、<証拠>によると、同人の妻である原告桂子は原告姿子(当時小学校三年)と原告和久(当時小学校一年)の二人の子を残して家庭の柱ともいうべき夫に先立たれ、同人の子である原告姿子、同和久は幼くして父を失うこととなつて、一家は悲しみのどん底につき落され、また、同人の母である原告一子は五〇才にして頼りにし、かつ、仕送りもうけていた長男と死別することとなつて右原告らはそれぞれ予期しない本件事故によつて甚大な精神的苦痛をうけたことが認められる。したがつて、その精神的苦痛に対する慰藉料は原告桂子につき一〇〇万円、同姿子、同和久につきそれぞれ七〇万円、同一子につき六〇万円、が相当であると認められる。
(五) 自賠責保険金の控除
原告桂子、同姿子、同和久が昭和四一年一一月二八日自賠責保険金をそれぞれ三三万三、三三三円づつ支払をうけたことは当事者間に争いがないから、右金額を右原告らの各損害額から控除すべきである。
(六) 弁護士費用
<証拠>によると、原告近藤桂子、同近藤姿子、同近藤和久、同近藤一子は弁護士庭山四郎、同下坂浩介に対し、本件訴訟の遂行を委任し、右両弁護士に対し成功報酬として各請求認容額の七パーセントの金員を支払う旨約したことが認められる。ところで、保険金を控除した原告近藤桂子の損害額は三八七万八、八五六円、原告近藤姿子、同近藤和久の各損害額は三五七万八、八五六円であり、原告近藤一子の損害額は前記のとおり六〇万円であるから、前記弁護士らに対し弁護士報酬として原告桂子は二七万一、五一九円、同姿子、同和久は各二五万〇、五一九円、同一子は四万二、〇〇〇円の支払義務を負つているところ、右は本件訴訟の難易度、請求認容額、その他諸般の事情に照らし本件事故と相当因果関係に立つ損害というべきである。
(七) よつて被告らは各自本件事故による損害賠償として原告近藤桂子に対し四一五万〇、三七五円、原告近藤姿子および同近藤和久に対し各三八二万九、三七五円、原告近藤一子に対し六四万二、〇〇〇円の支払義務があるものというべきである。
4 稲川利光の損害
(一) 財産的損害
原告稲川が請求原因一の(4)の傷害をうけたことは当事者間に争いなく、また<証拠>を総合すると、原告稲川は右傷害の治療のため本件事故当日から昭和四一年六月一九日まで苫小牧市立総合病院に、その翌日から同年九月一日まで国立札幌病院に、その翌日から昭和四二年三月七日まで国立登別病院に、それぞれ入院したことが認められ、前掲原告稲川利光本人尋問(第一回)の結果のうち右認定に反する部分は信用できない。そして<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告稲川は右入院期間中の昭和四一年四月五日から同年六月一五日までの七三日分の入院附添費用として合計六万一、八一四円を支払い、また、同じく同年一一月一五日治療に必要なコルセット代金として一万二、二〇〇円を支出し、さらに昭和四一年四月六日から同年六月一〇日にかけて八回にわたり苫小牧市立総合病院で治療をうけ治療費として合計八、五八〇円を支払い、それぞれ同額の損害を被つたことが認められ、右認定を左右するに足る証拠はない。
(二) 慰藉料
原告稲川が本件事故による受傷によつて昭和四一年四月五日から同四二年三月七日まで入院し、長期療養を余儀なくされたことは前記認定のとおりであつて、この間治療のため少なからず精神的肉体的苦痛を受けたことは推察に難くないところであり、さらに、<証拠>を総合すると、同原告には現在なお、後遺症として頸部に神経症状を伴う機能障害が残り、また、骨盤に骨折による変形があるほか、右股関節に局所の神経症状(労働者災害補償保険級別一二級に該当)を伴つているため、長時間頭を真直ぐにしていることおよび長距離の歩行はできず、また、用便の際や寝起きする際等にとくに苦痛をうけていること、さらに、このような障害のため昭和四二年五月末日に原告会社の嘱託の地位を解かれ、他へ就職を試みたが採用されずに現在に至つていることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。したがつて、原告稲川の右のような精神的苦痛に対する慰藉料は一七〇万円が相当と認められる。
(三) 弁護士費用
<証拠>および弁論の全趣旨によると、原告稲川は弁護士庭山四郎、同下坂浩介に対し本件訴訟の遂行を委任し、右両弁護士に対し成功報酬として請求認容額の七パーセントの金員を支払う旨約したことが認められる。ところで原告稲川の損害額は一七八万二、五九四円であるから、右原告は、前記弁護士らに対し弁護士報酬として一二万四、七八一円の支払義務を負つているところ、右は本件訴訟の難易度、請求認容額その他諸般の事情に照らし本件事故と相当因果関係に立つ損害というべきである。
(四) よつて被告らは、各自原告稲川に対し本件事故による損害賠償として一九〇万七、三七五円の支払義務のあることは明らかである。
5 原告会社の損害
(一) 葬儀費用
原告会社は、本件事故により死亡した従業員松原怜、中山一郎、近藤勉のために自ら社葬を行ない、そのために支出した費用および喪失した利益を自己の損害と主張して請求しているが、およそ交通事故による死亡者のための葬儀費用は、通常死亡者の社会的地位、職業、資産状態、生活程度を斟酌し、社会通念上相当な範囲に限りこれを負担した遺族の損害として加害者側が賠償すべきである。これに対し社葬は使用者たる会社が遺族による葬儀とは別途に従業員の生前の功労に対し、これに弔意を表するため自己の負担において営むものであり、しかも、未だ一般社会において必ずしも慣行化しているとまでは認められないから、交通事故による死亡者のため使用者たる会社が社葬を営んだとしても、原則として、これによる諸費用の支出をもつて、右事故による損害と認めることはできない。しかし、社葬のほか遺族自身による葬儀が営まれず、遺族が社葬をもつてこれに代えたものと認むべき事情の存する場合にあつては、会社の支出した社葬に関する費用のうち前記の社会通念上相当と認められる範囲に限り、本来損害賠償義務として加害者において負担すべきものを会社が第三者として弁済したものとして、会社は遺族の有する右損害賠償請求権を代位取得するものと解するのが相当である。そこで、本件についてこれをみてみると、<証拠>および弁論の全趣旨によると、原告会社は昭和四一年四月五日松原怜、近藤勉のために、同年同月中山一郎のためにそれぞれ葬儀を行ない、そのため松原・近藤両家の葬儀の布施、式場料金、院号礼金として合計一五万円、葬儀祭壇代金として一七万六、〇〇〇円を、仏具・供物等の代金として一万五、三七四円、死亡広告料等として七万七、〇〇〇円を支出し、中山家の葬儀場料・法礼・法名料として合計一〇万五、〇〇〇円、葬儀祭壇等の代金として一三万八、〇五〇円、死亡広告料等として一六万八、〇〇〇円を支出し、さらに松原・近藤・中山三家の葬儀料理代として二四万七、六〇〇円を支出し、原告ら遺族はこのほか特に自己において葬儀はいとなんでいないことを認めることができ、右認定を左右するに足りる証拠はない。しかしながら、原告会社が松原・近藤・中山三家のために霊柩車料金として合計三万一、〇〇〇円を支出したとの同原告の主張事実は、これを認めるに足りる証拠がなく、却つて<証拠>によると、松原・近藤・中山の各家において右費用を支出したことが窺われる。そして、原告会社の一般従業員である松原怜、近藤勉については二〇万円、中山一郎については同人が原告会社の取締役の地位にあつたことを考慮し四〇万円がそれぞれ社会通念上相当な葬儀費用と認めることができるから、右に認定した原告会社の支出した社葬に関する費用のうち右合計八〇万円については、本来損害賠償義務として被告らが負担すべきをさきに述べたところによつて原告会社が代位弁済したものであり、<証拠>および弁論の全趣旨によれば、原告会社は右代位弁済と同時に右原告らの承諾を得て右原告らの有する損害賠償請求権を取得したものと認められる。従つて、被告らは原告会社に対し右八〇万円を損害賠償金として支払う義務がある。
(二) 退職弔慰金
<証拠>によると、原告会社は社員が殉職したときは役員につき八〇万円、三級職の職員につき三〇万円の退職弔慰金を支給することを定めていることが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。しかしながら右の退職弔慰金なるものは、原告会社がとくに会社のために殉職した従業員を弔い、遺族を慰めるために遺族に支給する金員であると解せられ、しかも、かかる金員の支給が一般会社において必ずしも慣行化しているとまでは認められないから、これをもつていまだ本件事故と相当因果関係に立つ損害ということはできない。したがつてこの点に関する原告の主張は理由がない。
(三) 休業損失
原告会社は、松原怜、近藤勉、中山一郎の葬儀および通夜を行なつた際会社を休業して従業員を参列させ、或いはその準備、事故後始末等に当らせ、そのため損失を被つた旨主張している。しかし、社葬に伴う支出が損害と認められる場合であつても、その限度は、遺族の行なう社会通念上相当な規模の葬儀に要する費用にとどまるべきことは既に述べたとおりであり、これをこえる支出又は利益の喪失はもはや事故とは相当因果関係がないものというほかないし、事故後始末についても事故直後の必要的事後措置とみられる後記遺体引取等に関するものを除けば、やはり相当因果関係を否定すべきである。これによれば、原告会社の休業損失のうち、別表(四)の2、3、4(但し遺体引取に関する費用を除く)、5ないし13番の支出又は利益の喪失はいずれも本件事故と相当因果関係の存在を認めることはできない(2の看病に関する費用も、特段の事情が存しない以上その看病は原告会社の好意からなされたものと認めるのが相当であるから、これをもつて本件事故による損害と認めるべきではないと考える。)。
次に遺体引取等に関する別表(四)の1、4について検討すると、交通事故により即死し又は瀕死の重傷を負つた被害者および事故車を現場から早急に引取ることは事故の事後処理として最少限度必要なことであり、これら諸作業が何人によつて行なわれてもこれに要する相当な費用は事故による損害として加害者において賠償すべきものである。そこでまず別表(四)の1の関係では、<証拠>ならびに弁論の全趣旨を総合すると、原告会社は本件事故当日に従業員本間晴通外八名を事故現場に派遣して松原怜、近藤勉両名の遺体を引取らせ、そのため右従業員を休業させたにもかかわらず、その給料合計一万八、六八三円、賞与労災保険等による労務副費七、〇九九円の人件費を支出したことが認められ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。
ところで原告会社は右九名の給料および労務副費の支出のほか、右九名の労働によつて生み出されるべき一日分の附加価値利益をも損害として請求し、その算出上の根拠として昭和四〇年度の金属製品工業平均加工高比率(附加価値に対する人件費の比率)41.9パーセントをあげている。もとより、右数値は統計上の根拠に基づく信頼するに足るものと思われるが、それはあくまで平均的数値にとどまり、休業者の担当職種いかんによつてはそれ程業績に影響しない場合も十分予想し得るし、また、休業者が全従業員に比し著しく少数でその休業が極めて短期間に過ぎないような場合には他の従業員によつて休業者の担当職務を代行することが可能であり、その結果企業全体としては一部の者の休業による影響を殆ど受けないですむことが少くないことも往々にしてみられるところであるから、直ちに右数値をよりどころとして附加価値を算出することは相当でない。<証拠>によれば、本件事故当時原告会社の従業員は一四五名であつたことが認められ、一方、右九名の担当職種が余人をもつて代えがたい程重要なものと認むべき証拠はないから、一四五名中九名が一日休業したに過ぎない本件事故当日の原告会社の附加価値の減少が控え目にみても前記数値によつて算出された金額と一致するものと断ずることはできない。他に原告会社が前記人件費の支出をこえて右九名の休業により被つた損害を適確に認むべき資料はない(<証拠>によつて認められる原告会社の数値も結局平均的数値の域を出でないものであり、これを根拠に右九名が休業したに過ぎない本件事故当日の附加価値を算出することも相当でない)。
しかして、原告会社が支出した前記給料および労務副費合計二万五、七八二円は前記二遺体引取のために要する相当な範囲の費用と認められるから、別表(四)の1については、右支出の限度で原告会社が本件事故により被つた損害と認めて差支えない。
次に別表(四)の4の関係では、<証拠>および弁論の全趣旨を総合すると、中山一郎は本件事故の二日後である昭和四一年四月七日に本件事故現場に近い苫小牧市立総合病院で死亡したので、原告会社はその従業員を派遣して右中山の遺体を引取らせたことが認められるところ、別表(四)の4のうちどの限度の支出が遺体引取のためになされたかは必ずしも判然としないが、中山一郎の場合は、松原・近藤の場合に比し遺体が一個であること、死亡場所が病院であることなどを考慮すると、控え目にみて、松原・近藤の場合に損害と認められた額の半額すなわち、一万二、八九一円が原告会社が中山の遺体引取についての損害であると認めるべきである。
してみると、原告会社の遺体引取等本件事故の事後処理によつて被つた損害は三万八、六七三円である。
(四) 休業手当
<証拠>を総合すると、原告稲川が本件事故による受傷によつて昭和四一年四月五日から同四二年三月七日まで入院療養し、その後も前記後遺症のため原告会社に出勤できないまま同年五月末日同会社の嘱託の地位を解かれたこと、原告会社は賃金規定上は公傷病の場合も公傷病の当日につき一〇割、その翌日から三日間以内の休業日について六割の手当を支払うべきものとされているにすぎず、それ以上の義務はないのにかかわらず、右期間にあたる一三か月の間毎月原告稲川に対しその月額にあたる三万二、〇〇〇円合計四一万六、〇〇〇円を支払つたことを認めることができ、右認定を覆えすに足りる証拠はない。原告会社の右の出損のうち、賃金規定により義務として支給した分は本件事故によつて原告会社が直接被つた損害ということができる。また、その余の支給分は、原告稲川が本件事故によつて被つた損害として、本来被告らにおいて負担すべきところを原告会社が第三者として同原告に対し代位弁済したものと解することができ、しかして、<証拠>および弁論の全趣旨によれば、原告会社は右代位弁済と同時に同原告の承諾を得た上、右損害賠償請求権を取得したものと認められる。したがつて、被告らは原告会社に対し、右四一万六、〇〇〇円を損害賠償金として支払うべき義務がある。
(五) 本件乗用車破損による損害
<証拠>ならびに検証の結果を総合すると、原告会社所有の本件乗用車および附属ルームクーラーの本件事故当時における価格はそれぞれ五五万円および一八万円合計七三万円であつたところ、右乗用車およびクーラーは本件事故によつて完全に破損され、無価値となり、原告会社は右金額にあたる損害を被つたことが認められ、右認定を左右するに足りる証拠はない。したがつて、被告らは原告会社に対し物的損害の賠償として七三万円の支払をなすべき義務があることは明らかである。
(六) 弁護士費用
<証拠>ならびに弁論の全趣旨によると、原告会社は弁護士庭山四郎、同下坂浩介に対し本件訴訟の追行を委任し、右両弁護士に対し成功報酬として請求認容額の七パーセントの金員を支払うことを約したほか、原告会社において昭和四一年四月一四日から同四三年八月一六日にかけて他の原告らの分をも含めて右両弁護士に対し、着手金として五〇万円、必要な費用として一九万三、六一一円を支払つたことが認められる。ところで原告会社の前記の損害の総額は一九八万四、六七三円であるから、原告会社は前記弁護士らに対し成功報酬として一三万八、九二七円の支払義務を負つている。そして、本件訴訟の難易度、請求認容額その他諸般の事情に鑑み、右の成功報酬は本件事故と相当因果関係に立つ損害というべきである。
また、原告会社が支払つた前記の着手金および費用は、原告ら全員の訴訟の遂行のために必要なものであり、かつ、右の金額は、本件訴訟の難易度、原告らの各請求認容額、原告らの前記成功報酬額その他諸般の事情に照らして本件事故と相当因果関係にあるものというべきであるから、原告会社は右着手金等のうち自己の訴訟追行に要した分については同額の損害を被つたことになり、また、他の原告らの訴訟追行に要した分については被告らの負つていた損害賠償債務を弁済したものと解することができるところ、<証拠>および弁論の全趣旨によると、原告会社が他の原告らの承諾を得て右損害賠償請求権を取得したことが認められる。したがつて、被告らは各自原告会社に対し右着手金および諸費用の金額六九万三、六一一円を支払うべき義務がある。
(七) 以上によれば、被告らは各自原告会社に対し、前記の損害賠償総額二八一万七、二一一円を支払うべき義務があることは明らかである。
6 過失相殺
被告建設運搬は、本件事故が前記の近藤勉および赤松明の過失と競合して発生したとして過失相殺がなされるべき旨主張する。しかし、右近藤は、同人以外の被害者らとは同一会社の従業員であるという関係があるに過ぎず、到底被害者と身分上ないしは生活関係上一体をなすような関係にある者とはいえないから、仮に同人に過失があるとしてもこれを原告近藤ら四名以外の原告らの損害の算定につき過失相殺として斟酌することはできない。また、右赤松は後続車の運転者に過ぎず、被害者とは全く関係ないから、その過失を以て原告らの損害の算定につき過失相殺として斟酌することができないのは明らかである。
そこで、原告近藤ら四名の損害につき過失相殺をなすべき近藤勉の過失があつたか否かについて判断する。
被告建設運搬は、近藤に前方注視義務違反の過失がある旨主張するが、<証拠>を総合すると、近藤勉が本件乗用車を運転して本件事故現場附近を毎時約三〇数キロメートルの速度で進行していたところ、約三〇メートル前方の対向車線を中央線寄りに対進中の砂利トラックの直後からウインカーによる合図もすることなく、突如自車線上に毎時約四五キロメートルの速度で侵入してきたので、直ちに自車を制動し、ハンドルを左に切つたが問に合わず本件ダンプカーと衝突したことが認められ、右認定と一部符合しない甲第一〇、一一、一三は前掲各証拠に照らして採用できない。そして右事実によれば近藤に前方注視義務を怠つた過失があるとは到底認められない。
したがつて、右被告の右主張は理由がない。
五、結論
以上判示の次第で、原告らの被告らに対する本件事故による損害賠償請求のうち、(1)原告松原国隆、同松原俊枝の各九五〇万四、〇四九円および弁護士費用を除いた八八八万二、二二八円に対する本件不法行為の日の後である昭和四一年四月七日から完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の連帯支払を求める部分は理由があるので、これを認容し、(2)原告中山和子の九一二万六、二一五円および弁護士費用を除いた八五二万九、一七三円に対する右(1)と同一期間、同一割合による遅延損害金、原告中山透、同中山順子の各八八〇万五、二一五円および弁護士費用を除いた八二二万九、一七三円に対する右(1)と同一期間、同一割合による遅延損害金、原告中山とめの六四万二、〇〇〇円および弁護士費用を除いた六〇万円に対する右(1)と同一期間、同一割合による遅延損害金の連帯支払を求める部分は理由があるから、これを認容し、(3)原告近藤桂子の四一五万〇、三七五円および弁護士費用を除いた三八七万八、八五六円に対する前記(1)と同一期間、同一割合による遅延損害金、原告近藤姿子、同近藤和久の各三八二万九、三七五円および弁護士費用を除いた三五七万八、八五六円に対する前記(1)と同一期間、同一割合による遅延損害金、原告近藤一子の六四万二、〇〇〇円および弁護士費用を除いた六〇万円に対する前記(1)と同一期間、同一割合による遅延損害金の連帯支払を求める部分は理由があるから、これを認容し、(4)原告稲川の一九〇万七、三七五円および弁護士費用を除いた一七八万二、五九四円に対する前記(1)と同一期間、同一割合による遅延損害金の連帯支払を求める部分は理由があるから、これを認容し、(5)原告会社の二八一万七、二四九円および弁護士費用を除いた一九八万四、六七三円に対する前記(1)と同一期間、同一割合による遅延損害金の連帯支払を求める部分は理由があるからこれを認容し、原告らの被告らに対するその余の請求部分は、いずれも失当としてこれを棄却し、訴訟費用について民事訴訟法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言について同法一九六条をそれぞれ適用して主文のとおり判決する。(松野嘉貞 小林充 加藤和夫)
別表(一)〜(三)<省略>
別表(四)
原告会社の休業損失明細
番号
日付
事由
(1)休業人員
(名)
(2)支払給料
(円)
(3)労務副費
(円)
(4)付加価値
(円)
(2)+(3)+(4)
(5)損害額
(円)
1
4月5日
松原,近藤の遣体
引取前後措置
9
18,683
7,099
35,604
61,386
2
6日
看病,対外連絡
通夜準備
48
72,870
27,690
138,869
239,429
3
〃
通夜参列,早退
83
11,122
4,226
21,195
36,543
4
7日
社葬臨時休業
中山の遣体引取
131
161,848
61,502
308,436
531,786
5
8日
対外連絡通夜準備
59
87,199
33,135
166,176
286,510
6
〃
通夜参列,早退
72
9,331
3,545
17,781
30,657
7
9日
社葬臨時休業
131
161,848
61,502
308,436
531,786
8
11日
葬儀
事故後始末
12
24,400
9,272
46,499
80,171
9
12日
同上
8
17,458
6,634
33,270
57,362
10
13日
同上
6
12,665
4,812
24,135
41,612
11
14日
同上
4
9,473
3,599
18,052
31,124
12
15日
同上
4
9,473
3,599
18,052
31,124
13
16日
葬儀
事故後始末
2
4,113
1,828
9,171
15,812
合計
1,975,300
(注) 労務副費(賞与手当引当分,法定福利費)
夏期,年末賞与,石炭手当引当 19.9%
退職手当引当 5.0%
厚生費引当 5.0%
労災保険料引当 1.5%
失業保険料引当 0.7%
健康保険料引当 3.15%
厚生年金引当 2.75%
計 38.0%
付加価値は中小企業庁の昭和40年度の「中小企業の経営指標と原価指標」中の
金属製品工業平均加工高比率41.9%≒42%によつた。